片言隻語

◆2017/7/29 付

深く陰陽の消息を観る!】

「自国が陰であれば、他国は陽であり

陰陽の差の大は凶である・・。」

此の言は、古代よりの法則・常識として受け継がれてきた。

また、

「力を借りる国を選ぶには最大の智を要する事であるが

かけ離れた大国を選んではならない!」とある。

何故なら、

必ず、吸収されてしまうからである。

これが国の安定・維持に繋がる法則である。

さて、この国の現実はどうか?

この法則に逆らったまま、進んでいる。

かけ離れた大国と組んだまま、進んでいる。

この法則を知らずして・・・。

 

◇2017/5/14付

【遅疑は大事の障害なり!】

都知事に対する不満の声が・・決断力が無い・・等、続々と。

小池都知事について、24分類法から知・情・意を推察する。

<特徴>人生に対する行為・行動に深い思考力と長期的な視野に欠ける。

しかしながら、現実的なもの、目前に迫った行動力には見事なものがある。

選挙などにおいては、抜群の行動に伴った理性「HAタイプ」である。

<理論性>行動を伴う陰型理性

<思考力>現実優先の思考、独自の哲学を持つ

<創造性>日常的な目前の物事に応用力のある具体的な創造性

 

◇2017/3/7 付

組織論を持たない元都知事】

集団の形には利益を目的とした組織集団と利益を目的としない集団がある。

当然のこととして、利益集団には役目・役割があり上下関係がある。

利益を目的としない集団(趣味の会等)では名称としての役割はあるが上下は無く

対等関係であるので責任は関係者が対等に背負う事になる。

では、東京都の職員は利益集団ではないのか?これは、大きな問題である。

東京都は巨大な利益集団であり、歴然とした役職があり、

利益集団の役職にはそれぞれの役職に対しての対価も受けている。

余りにも、無責任な発言であり、社会性無きに等しい発言である。

これが、許される社会であってよいものであろうか?

参考までに、現代で会社経営に失敗する社長の3つの共通点は下記のようである。

    社長が仕事をしない。

    社長が浪費家である。

    社長がオブジェ化している。

 

◇2016/12/15付

シャープの凋落】

大企業にあっても事業継承には法則がある。大きな知恵の支えが必要である。

企業は6対4の割合で優秀な人材を持つ事。優秀な人材は無敵である。

特に、後継者の中でも二代目、七代目、十二代目を担う社長は、その役目として

教育の要素を経営術の中に持たねばならないのである。これが法則である。

新たな教育改革なしに従来の状態を引き継ぐだけでは七代目を維持、安定には至らない。

遡って、徳川家の例を見ても、二代目秀忠公はこの法則を以って三代目へと繋げている。

そして、四代目の豊かな時期を経て、五代目で安定を得ている。

(株)シャープの七代目社長は目を伏せて「何もしなかった・」との言葉を残しているが、

この法則を知らずして、百花の凋落飛散への道を選んでしまったのか、と。

 

◇2016/12/4 付

【大統領選挙】

アメリカ大統領選の結果、トランプ氏は「自尊心」で時を得、

リラリー氏は「自尊心」で時を見誤った。

「自尊心」とは真の自信から成るものであり、此処に

「真の自尊心」と「心貧しき自尊心」の難しさ、違いがある。

 

◇2016/7/28付

【方向を間違っていませんか?】

日本の根本問題は人口減と少子高齢化であるのに

28兆円超の財政出動とは?

方向が間違っていませんか?

自分の人気取りのためだけに株価対策に盲進する

子供のいない指導者は子孫の迷惑を考えないのですか?

また肝心の建設業界は人手不足と技術者不足で既に消化不良では?

一刻も早く足下を見つめた、まともな政府にならないと

いよいよこの国は立ち直らないのでは?。

 

◇2016/4/24付

信用は資本なり】

「信用は資本なり」の精神は何処へ?

大会社も零細も同じく、この格言の持つ精神を失っている。

眼に見えるもののみに捉われているから、

そして、テクニックのみに走るから。

現実を追い求めるあまり精神性を蔑にしている。

大切な「人の心」を忘れている。

本来、現実には精神性を加えなければ確実な成功は望めないのに。

だから、長く続かない企業が増えていると思う。

 

◇2016/3/3付

【報道圧力

現総務大臣にあっては「表現の自由」という価値に対しての

基本的な理解を欠いているようだ。

憲法21条の規定する「表現の自由」は放送事業者にも

保障されているものである。

「総務大臣が最終的に判断するということになるかと存じます・・」

等の無知無謀なる発言は知らぬ間に言論統制への道を進みかねない。

このような国家権力の暴走を止めるのが憲法の鎖であるはず。

総務大臣という特権を持つ者のこの発言は、間違いなく違憲であり

違憲審査基準の適用となる事を知らねばならない。

 

◇2016/2/12付

【副大臣】

副大臣、お茶会ですか?

TPPの署名式に出席の高鳥修一内閣副大臣の姿には驚きである。

何処かの茶会にでも出席されたかと、疑いたくなる恰好であった。

公人として、国の代表としての認識を疑われるのは当然ではないか、と。 

歴代の政治家の服装礼を参考に、マナーも合わせて良く学んで戴きたい! 

第一礼装は黒紋付き、一般礼装は色紋付ではあるが、それらは全て

江戸時代からの庶民の服装礼である。

国の公式行事でありますぞ。

これ、全くもって不見識を露呈したものと言わねばならない。

不心得も甚だしいではないか?と。

 

◇2016/2/2付

【立春】

2月4日「立春」、干支暦ではこの2月4日をもって2016年が始まる事をいいます。

「午未天中殺」所有者は12年に2年間の天中殺という「空間の欠落」現象が終了します。

甘利大臣も「午未天中殺」所有者であり、最後に退任という形になりました。

今まで2年間に役目上行った事に結果は出ず、天中殺現象が生じて後に禍の種を残すことに

なります。

国の代表の運気は実に大事なのです。

そして、2016年・2017年は安陪総理大臣が天中殺に入ります。

前進力のある「申酉天中殺」所有者のトップがこの時期に成したことが禍の元になるのは

ご存知でしょうか?

鳩山氏が総理大臣だった時も天中殺時期でした。沖縄問題は未だ解決の兆しがありません。

 

◇2016/2/1付

【九九消寒】

中国の暦の節気の一つである「冬至」の日から「九を数える」と真冬の日に入ります。

九日間が一つの九と呼ばれ、九つの九で八十一日を数え終えると寒気が消えて温かい春の

訪れがあるという事です。

昔から「九九消寒の歌」や「九九消寒の図」がありますが、

文字の消寒図もあったと言いますから余程、春の陽気が待ち遠しかったに違いありません。

九画の字九つを選んで白抜き文字にして並べ、毎日一画を塗りつぶしたそうです。

一例として:庭・前・垂・柳・珍・重・待・春・風(庭の柳を大事にして春風を待とう)

デジタルでない時代は、何とも風流ですね!

 

2015/11/16付

                              【職 人】

                            無愛想なのは

                                    媚びる事を知らないから

                         無骨なのは装うことを知らないから

                                      貧しいのは

                                   お金がすべてではないから 

                         頑固なのはそのことに自信があるから

                            こだわるのは本物を知っているから

                              そして、極めることができたのは

                      其の道以外 生きる術をしらなかったから。

 

◆2015/11/10付

 

 

 

◆2015/11/9付

【今こそ、呉越同舟】

 先の、臨時国会拒否のデタラメあり。民主・共産との共同拒否問題、然り。

 世の中は不思議な程にデタラメな政府の動きに慣れきってしまっている。

 今更、古を学ばなくとも 今は野党一丸の「合従」の手段を持って事をなし、

 不正を正し、国の在るべき姿に舵取りすべき時ではあるまいか?と。

 今こそ「呉越同舟」の時。野党一丸の英知を結集して事に当たるべき時である。

 つまり、敵同士ではあっても同じ船にのり嵐に合えば助け合うのが当然であると

 いうことである。

野党の党首たちに聞きたい。野党たる責任をどう考えているのか?

 古代、百万の軍も自在に動かした韓信にも、適格な忠言をした縦横家の存在があった。

 「聴は事の兆候、謀は事の機微と申します。

 小事に拘っては万乗の権を失いますぞ。

 知こそ決断の力であり、遅疑は事の害なり」と。

 しかし、将に将たる器を持たなかった者の末路は皆同じである。

 その言葉を用いれば、以下の如くで「遅疑逡巡」といえるものだった。

 結局、韓信は呂后の兵の密告により殺されるが、英邁な将ではなかったと言う事である。

 

 ◆2015/10/25付

【枢言に曰く・・】

「滅亡の原因は、その長所が原因となって滅び、

人はその特技があだとなって身を滅ぼす」 

当に、泳ぎの名人が池で溺れ、

弓の達人が弓で殺されるようなものだ。

名のある建築・不動産会社はその仕事で転落へと進み

食べ物屋は食べ物で滅びる。 

人は、その強みで失敗するということである。 

そこが、人間の弱みである。

 

◆2015/10/3付

【マナー違反】

公人のマナー

 「服装で迎え、智慧で送る」という言葉がある程に

 服装礼も大切な公人の「公務」の一つである。

 その公人にして、この心得不足は恥ずべき事である。

 五輪担当相のラフさは余りに、非礼!無礼! 

 不心得ではないか、と。

 賓客時には、少なくともネクタイで気を引き締めて欲しい。

 

◆2015/9/21付

【難言】

安保関連法案成立に関しては、第97代現総理大臣が、或は一国の命運が、

 平和期か、動乱期か、何れかの方向へと、流れを変えるべく舵取り役という

 「役目」を担っているという事であるならば、それは人知の及ばない事として

 致し方なしである。

 喩え、「苛政は虎よりも猛」の未来を予見しても、社会システムは自然に動き、

 時は自然必然の推移であり、変化であり、また、刹那のうちにも変化している。

 陰陽論を持ってすれば、全ての現象が(陰-・陽+・陰-・陽+)の順序に従い

 連動する。同じく、平和の次は平和ではなく動乱という時代に移るのが常である。

 見れども見ざるが如くし、聞けども聞かざるが如くし、知れども知らざるが如く、す。

 

◆2015/9/5付

【接運時の出来事】

接運とは個々の「大運と大運のつなぎ目」の事であり大運の変わる前後5年間の事を言う。

接運は運命の変わり目であり、それだけにいろんな変化が起きる。

例えば思考など精神的な変化、体調の変化、家族の離反、仕事上の突発事故、他人の言葉に

乗せられやすい等、運の波が荒れるところであり「接運十現」と言われる程、様々な現象が

集中して起きるところである。

 そこで、オリンピック・エンブレム問題でメデイアに躍り出た人物に至っては、現在、

丁度43歳の10年運に入り「接運」の時期に当たっている。又、自身の五旬からは

大運天中殺の入り口であり、加えて今年は仕事が病気をするところで何かと進展し難い

形となっている。

 ・・個人の接運時は誰もが最悪状態を想定し、生活状態を変化させない等、特に気を付ける

べきところである。

残念な事に「千載一遇」か「盲亀の浮木」かのチャンスは脆くも「接運」の時期に遭い

雲散霧消と化した。

「好事、門を出で得ず。悪事、千里を走る。」との諺の如くか。

 曰く、「仕事に便法はない」という事になりましょうか。

 思えらく、運命とは決して粗なるものではなく、人間の考え及ばないような密なる仕組みが

あるようである。

又、一切の事柄に天の定めた時期があるという事ではないか、と。

 詰るところ、人間の名誉も財運も「授かる人の器に従う」という事になるか、と。

 

◆2015/8/24付

【事件の裏に社会悪】

 昨今の痛ましい事件の報道には目を覆うばかりである。

 そもそも、如何なる事件もそれは何らかの原因があって結果として現れる現象である。

 その現象から探れば、背景としての社会なり、家庭環境が被害者も加害者をも作り出す

 大きな土壌であり、何らかの大きな要因を孕んでいるとの想像に至るのである。

 其処に何気ない日常生活を過しながら、何気なく無関心な生き方に慣れていく現代人。

 実に子供も大人も「心の闇」を持ちながら多忙にまかせスマホを相手に一人で解決すべく

 それが、生活の中で自然と習慣付けられているという怖さがある。

 現代社会は、そのような日常を持つ個人集団が社会に集団を作り出しているように見える。

 そして、其処が大きな問題なのではないか、と。

 これは進化する現代社会の落とし穴とも言うべきものではないのか、と。

 日常の人と人とのコミュニケーション能力が落ちるのも、宣なるかな、である。

 進化社会であれ人間社会に変わりなく、良い国とは普通の家庭集団から成るものである。

 それぞれの家庭集団が国の本(もと)となることから、進化に合わせた対応こそ「焦眉の急」。

 悲惨な事件から、何故、中学生が夜中に出歩くのか? 何故、人は無関心なのか?

 家庭教育の在り方はどうか?一家庭にあって、子供が夜中に家にいない事の異常さこそ

 大きく問題視すべき事と考える。又、このような事件が頻繁に繰り返される毎に

 唯々、変形した家庭なり社会の暴力には、非常な恐怖を抱かされるものである

 

◆2015/7/21付

【デモクラシーと独裁は矛盾せず】

現状を理解できない時は、昔の事から推察するのがよいと言う。

 未来を予測できない時には過去をふりかえってみるがよいと言う。

 すべてものごとは、現れ方は異なっているようであっても、

 古今を通じて、その法則性は同一である・・・と言う。

 世の中の移り変わりは「滄桑の変」。特に近年、近代デモクラシーが生息し得る

 必要条件となる議会政治が巧く機能しているとは、とても言えない現状にある。

 討論こそ議会政治のエッセンス。しかし、それを眼にする事すら既に無く、矢継ぎ早に

 知らされる法改正・法案には、唯々、唖然とするばかりか、恐怖を持たずにはいられない

デモクラシーとは人間だけで行う政治の事であり、「デモ」は「人」と意味するところから、

 人が関わる政治は、共和制にしろ、貴族制にしても全てデモクラシーである。

では、デモクラシーの反対とは? 「神聖政治」のシオクラシーである。

 ・・とは、「巨儒」小室直樹氏の言辞。

 そして、平和主義のデモクラシーもあれば、軍国主義のデモクラシーもある。

古代ギリシャに栄えたスパルタなどは典型的な軍国主義のデモクラシーであった。

 自由主義と民主主義が一組になった、近代デモクラシー国家においては、主権者が国民

 であり「絶対者」である。権力への住民参加においては監視の目を疎かには出来ない。

 国民の代表たる議会がありデモクラシー国家の長は名君にも暴君にもなり得るのだ。

 アジア・アフリカ等でいろんな国が宗主国から独立し、憲法を持ち立派な自由主義や

民主主義が盛り込まれていても、敢え無く機能不全に陥り独裁者が牛耳ってしまうのが

 何よりの証拠ではないか。周知の如く、古代ギリシャにおける政治思想の影響は大きく、

 デモクラシーという言葉は「暴民政治」という意味をも持つものである。

 デモクラシーとは健全に育んで行かなければ簡単に独裁者を作る土壌となり得るのだ!

 デモクラシー、リベラリズムによる政治は非常に生かし方が難しいと言われる所以である。

 国民が目を離した隙に独裁化してしまう事を知るべきである。

 その最も端的な例がドイツ。ヨ-ロッパ中が平和を叫ぶ中、憲法の手本とされた

 ワイマール憲法には触れる事なく、国民投票を繰り返し、第一党にのし上がるや、

 得意の経済政策で超インフレを解消、国民の喝采を浴びながら独裁者となったのが

 ヒトラーである事は言うまでもない。アウトバーンが今も、その名残をとどめている。

その時に作った一つの法案が、恐怖の「全権委任法」であった。

 あれよ、あれよという間に、全権力が一人の手に委ねられたのである。しかも合法的に。

 デモクラシーと独裁は矛盾しない。舵取りを間違えば「僧兵世乱す」である。

 そして、今こそ「危急存亡の秋」である。


)

◆2015/7/13付

【準備なくして・・オリンピック?】

 時を逸し「ずさん」との汚名をそそがれた新国立競技場、この建設を巡り今や各界から

かしましい論議を呼ぶ存在となっている・・。こんな国家事業計画があるのか?と。

 古を師とするなら、・・・そもそも国家の財政は、計画によって動き、努力をまって安定し、

 油断によって破錠を生じる。計画性を欠けば成り立たない。努力抜きでは安定しない。

 そして油断さえしなければ破錠はない。つまり、「準備なくして行動なし」と唱えたのは

元前の政治家でありエコノミストの「管仲」であった。

 「菅子」立政篇の中から、施政の極意をずばりと伝えている章が以下の如くである。

 「先ず準備が整っていなければ如何なる計略も成功はおぼつかないし事業も計画倒れに終

 わってしまう。

行動を開始するに当たって、先ず周到な準備を整えてから慎重に時機到来を待つ。

国が新しい事業を始める際は賞罰の規準を先に示しておく。

事業の責任者は、いちいち計画にのっとって仕事を進め、決められた通りに賞罰を行う。

さて、事業が終われば責任者はその事業のやり方を複命し、賞罰の状況を報告する。

もし、事業のやりかた命令に合致しなければ、たとえ功労があっても、「勝手な事をした」

という(かど)で死罪に処される。

このように、前もってきちんとした計画と命令さえ定めておけば、事業はとどこうりなく

完成するものである」と。現代社会にあってもそれなりの罰は当然あって然るべきではないだろうか。

予告してのち事を行う段階で責任者不明?この醜態の原因は何処に?

・・オリンピックは全ての国民の合意で行われるものではない。

全くオリンピックに興味・視野を持たない人々が国の半分以上はいるという点にも

注目すべきではないだろうか。

 その上、費用の負担は全ての国民が支払う事になる。市況を見て国の財政第一の考えを持 

つ舵取りを願いたいものである。が、一庶民の低い所からの声が届くであろうか、とも。 

諺に曰く、「貧乏人は金銭を持って礼を成さず、老人は労力を持って礼を成さず。」という

言辞も合い含めて考えを巡らせて欲しいものである。この諺は国家にも個人にも通じる話。

・・・「管子」の話で、もう一つ見落としてはならないのは数千年前の菅仲が、

すでに「計画経済」を会得し説いていたという事実である。

民から「取る」ためには、まず民に「与えよ」と説く管仲の論は極めて「今日的」である。

 

◆2015/7/3付

【老馬の知、用うべきなり】

 生活苦に絡む事件が此処に来て急に増えたとの感はあったが、

 昨日の国の統計から62・4%の人達が生活苦を感じているという結果には驚愕。

「流れ老人」との老人を揶揄する新語が出た後での、この現実は当に貧富の差の拡大を意味するものであり、

他人ごとではなく、不安定社会を物語る現実であると感じる。経済は生き物である。

 古今の有能なエコノミストの論理は「有効需要」と称するもので消費と投資の配分、

しかし、いかに計算し尽くされた形を持ってしても人間が作る社会が自然界の法則の範疇にある限り、

人為は一時的な勝利に過ぎないのである。

また、「貧富」とは、文明なり進化した社会の属物であると考えるのが正解というものではないのか、と。

 なぜなら、太古の社会、つまり「貧富」が同居しない共同体からは一番高貴な習慣が生まれているのである。

そこには傲慢も不正もさらには羨望も我欲も生まれなかった。

また、人間が単純であったから人間も善人であったとか。

さて、現代の状況改善には「轍鮒(てっぷ)の急」を要す。

古を師として、彼の紀元前、政治家「管仲」の発した言「老馬(ろうば)の知、(もち)うべきなり」である。

 つまり、伏して、老練な知恵者の言を道案内として舵取りをするにある、と。

 

※「老馬」戦いで追われ山道に迷い困った時に、「老馬に先導させよ!」との

 管仲の指示あり。年老いた馬はよく道を知っているから迷わないという故事。

 

◆2015/5/31付

【不能の一字はただ愚人の辞書にあり!】

昨今の国会答弁に見る品位!総理をはじめ大臣達の愚答。

これ、如何なものかと・・。

古来より女性の品位は足首にあるとは知るものの、

男性の品位は、やはり言動にありと視る。

こうなると、やはり、人間の一生を支配するものは、

運であって知恵ではない、という事になりましょうか?

 

◆2015/2/28付

【大塚家具お家騒動】

今回の権力闘争にみる親子関係から親子とは肉体面ではDNA鑑定で科学的には証明されても、

精神面(性格)は両親の資質とは関係なく自然界の法則により決定されているという

「東洋の先人の知恵」の証明でもあるようだ。父親・長男・長女・この三人からして、

三人の思考ポイントが全く違う。つまり、24分類法から見て思考法が全く違う事が判る。

父親(NAタイプ)長男(MCタイプ)長女(KFタイプ)

思考ポイントが完全に違う三人なので全てがかみ合わず全く意思疎通が困難な状態にある。

※父親(NA)は限られた視野を所有の官僚タイプ。

安全が確認されてはじめて動きだすタイプで咄嗟の判断に弱点を所有。

特徴としては、幼い時には淋しい育ち方を経験しており、極めて特殊な考え方の所有者であり、

人が考えないようなアイデアー等豊富である。

この件、77歳までには完全に納まる形を所有している。

※長女(KF)は視野が広く常に全体思考を得手として夢を追うタイプであり

現状満足度は少なく家系に対しての権力意識が強いため、見返りとして結婚運を犠牲にする。

家庭内暴力などは子の様な人物から起こるのであるが、

両親縁が薄く両親からは異質な子に映ったとしても目上両親に大きく影響されるタイプであるので

育てる段階から常に期待をかけてあげながらの環境が必要であった人物である。

無意識に知性的な行動を取り問題にぶつかると目上的な上位の立場に立って闘うが最終的には

何かを守るという思考に落ち着くようである。2016年には考え方が一変する事態を迎える事になる。

※長男(MC)跡取り運ではない人物。視野が狭く限られた視野を持ち社会性より自己を優先するため、

会社員としての人生よりもスペシャリストとして活躍すべき人物である。

さて、賢者は禍を持って福と成すもの。社員を巻き込んでのこのお家騒動の一件、

禍とするか福とするかは、一重にこの親子の意識次元に懸かっているようである。

 

◆2015/1/31付

【大相撲・白鵬の審判批判】

話題の横綱白鵬は現在29歳、最高位に登りつめた人物である事は相撲ファーンならずとも知る所である。

その並外れた忍耐力とずば抜けた才能のバランスには誰もが脱帽。

寡黙に自己の全てを一つの目標に向けて進んで来た人物であり、これは誰もが真似出来る事ではない。

それだけに他の相撲取りとは次元が違う事は確かである。

また、本人の次元の高まりから独自の哲学を持っている事も確かである。

しかしながら、この出来事、此処に大きな危険が潜んでいる事を本人は知らない。

「人は自己の強みで失敗する!」と言うことを。

そこには、あまりに早い昇進ゆえに29歳の「心次元」が追いつかない横綱がいる。

相撲協会でいう「心技体」の「心」だけが追いつかない状態であると観る。

また、本人の相当な「頑固さ」がないと自分をこれまでに成せなかったはずである。

つまり、普通の人が成し得ない事を成した人物は独自の哲学を持つ故、独特の特徴が出るものなのである。

しかし、「忍激は禍福の関なり」の古言にあるように、

今回のこの出来事から学ぶべき姿が、今後を大きく左右すると思われるが故にあえて申し上げたい・・。

「頑固」とは、自分が孤独な状態になる覚悟の上で出すものである、という事。そして、

「忍耐」とは、真の自尊心と広い和合の精神から生まれるものである、と言う事である。

 

◆2014/12/30付

【2014年・話題の人物:小保方晴子氏】

現象とは原因の結果が見える状態を言う。

どのような現象も必ずこれより始まるという糸口なる起原がある。

又、現象は極まる状態を持って始めて外側に現れるものである。

極まるとは熟する事であり時間的に捉えると約15年から20年を熟し

極まる時間とするのが自然界の法則でもある。

柿も渋柿から甘くなる迄には熟す時間を要する。

人間も熟年期までには時間が必要だ。

おまけに柚子の大馬鹿18年との言われを持つ実生柚子の熟成は遅く、

しかし、その味、香りは接木の綺麗な柚子に比べてはるかに格調高く、

フランス人の美食家をして「美味なり」と言わしめている。

押して知るべし。

小保方氏の件も熟成極まれば結果は是非の如何を問わず

世間に現れるのは当然の事である。

言わずもがな。

「聡明なる人物」とは結果を捉えて行動する人の事を言うのである。

アルケオロジー分析から本人を見た場合、

本人の行動範囲として大きな場を与えられる程、

矛盾が多くなり良い面も悪い面も消耗しているような形を持つ。

これは平凡な人間が百鬼夜行する世界に飛び込んだ様なものである。

本来は狭さを持って運命的な美を作る人。

思考面では常に干合(かんごう)変化(化学変化)が起きる状態にあり、そこに大きな特徴が潜む。

つまり捉えどころのない人物像が出来上がる。

それが異性間においては不思議な魅力人に見えてしまう部分なのである。

始めに冒険・最後に冒険、始まりは経験不足から無手勝流人生に流れ、

最後まで傍目には常識逸脱の人となり、他人との和合性なく孤立の人と成り得る。

2013年には自分自身も社会運も変化の状態にあり仕事面では一先ず終止符の形になっている。

又、2014年・2015年は12年に二年間の空間欠落の低調期現象にある人物である。

2014年12月30日

お知らせ

◆9月17日 24分類法研究に伊藤博文の縦横学的分析を追加しました。

◆9月21日 24分類法研究に吉田茂の縦横学的分析を追加しました。

◆9月25日 「百事の禍福」を新設しました。

10月2日  縦横学に「縦線と横線の意味」を追加しました。

12月30日 「トピック・ニュース」を新設しました。

その1:2014話題の人物:小保方晴子氏

その2:大相撲、白鳳の審判批判

その3:大塚家具お家騒動

その4:不能の一字はただ愚人の辞書にあり

2014年9月25日

百事の禍福

其の七:近年の離婚率は年々高まるばかりで、今や二分に一組の割合で離婚があるという。

   今様の人の特徴から、激して忍耐を軽んじる傾向が強いように感じる。

   独身者も多いが、この状態が続けば社会は乱れる。片親での子育てには難多く、

   貧困層も厚みを増すばかりか、と。

   これも戦後日本の弱みに付け込んだ強国の押し付け教育と家庭教育の弊害と言えるが、

   社会の不備やら社会のせいばかりにも出来ないふしがある。

   自由社会は自己責任が伴う。もう少し結婚も子育てにも思慮深く有るべきではないかと思う。

   今、この問題こそ、焦眉(しょうび)(きゅう)ではあるまいか。

   特に子育てには二十年の忍耐期間が必要である。つまり、成人するまでは母親は

  「我」を出しては子供がまともに育たない。

  「我」を出していい時期とは子育ての後という事で、それまでは全て譲る事であり、

   自己を無くす事である。其処に父親と母親の役割分担がある。

  「忍耐」は子供を育て自己をも育てる「妙薬」なのである。

  「忍」の経験がない女性は孤独に弱く、やがて訪れる人生の最後の時期に孤独を

   楽しむ知性ある「老来」は迎えられない。忍激の二字は、これ禍福の関なり。

其の六:「(ちょう)は事の兆候」と言うも、最早「(かなえ)軽重(けいちょう)」を問われるまでの国に・・。

            何とも哀れな平和ボケも甚だしいニュースには驚くばかり・・である。

            本年の流行語大賞に上がった「集団的自衛権」の話。

            今や国家権力の暴走により「憲法」という最強の鎖が解けようする時に、

            この暴挙。

          「禍福はあざなえる縄の如し」とは言うけれども、

          「(やまい)膏肓(こうこう)に入り」の状態では、既に治すべく方法もなく、

            もはや「自然の法則」に従うより道なし、唯唯、眺めているのみ。

其の五:「国には国の(かく)、民族には民族の(かく)がある。人に人の(かく)が有るのと同じである。そればかりか、物に

            もそれぞれに格がある。格は尊貴なもので、全ての格を総合するものが人格である」と言われるが、

           近年、政治家の人格には問題が多すぎるのではないか、と。古の政治家「管仲」は「天下を得るには、

           先ず人を得る」との言を残したが、古を「師」とし、「管仲」を崇拝した毛沢東も同じく言っている。

         「準備なくして行動なし」と。政治家のトップたるや人を選ぶ資質を持つ事、然るべきであり、閣僚た

          るや「人格」「実績」「能力」の三条件を備えているのは当然の事とする、この基本がぐらつけば国は

          危ない。唯唯、「野心は大きいが知恵が足りない」ことほどの政治集団、何をか(いわん)やである。

          これこそ、百事の禍の基である。

其の四:古例より、漢の文帝の時代、慎夫人は宮中では皇后と同列の席を与えられていたが、文帝が皇后と

           慎夫人を伴い上林園に行幸の折、丞相は慎婦人の席を一段後ろに引き下げた。(しん)婦人は怒り、文帝一行

           はそのまま宮中に帰ってしまったが、丞相の袁盎(えんおう)は臆することなく一行の後を追って参内、言上した。

      「尊卑のけじめがあってこそ、上下関係がしっくりいくもの。陛下が皇后をお迎えになっておられる以

            上、慎夫人は側室です。側室が正室と同列の席につくような事では尊卑のけじめがつきません。陛下が

            それ  ほど慎夫人をご寵愛ならば、他の形でお気持ちを表わせるはず、良かれと思ったことが仇となる

            事 も多々ございます。よもや呂后の「人豚」の事件をお忘れではありますまい。」文帝は「よくぞ

            っ くれた!」と喜び、慎夫人に袁盎の意図したところを話して聞かせた。これ、禍転じて福とした

             が、後に袁盎の諫 言も多きに過ぎて疎んじられ敬遠され官位剥奪の憂き目に遭う。「過ぎたるは及ば

             ざるが如し、禍福はあざなえる縄の如し」とも。これ、百事の禍なり。

其の三:歴史は繰り返すとはいうが、そのパターンは驚く程しばしば日常に繰り返される。

    古例から「その強きは、弱めやすし」の韓信の戦略は百万の大軍も自由に操り大いに劉邦を助けたが、

     劉邦・項羽・韓信との力量が揃った時の事、斉の策士、蒯通(かいとう)が天下三分の計を持ちかけた。

          「もはや三者鼎立(ていりつ)すべき時、(ちょう)は事の兆候、(ぼう)は事の機微(きび)と申します 小事にこだわっては万乗の権

            を失います。遅疑は大事の障害です。ああ、今がチャンスご熟慮を・・」

           しかし結局、韓信は迷いの末に進言を退けた。その結果、密告者により造反者と疑われ韓信の三族は

           皆殺しにされてしまう。命を失う最後の時に韓信 が遺した言葉がある。

         「(こう)()死して(りょう)()煮られ、高鳥尽きて(りょう)(きゅう)(しま)われ、敵国敗れて(ぼう)(しん)滅ぶ。」

          利のために義に背くことは出来ないと言えども、進言に耳を貸しながら躊躇(ためら)って断行しない事こそ、

          これ万事の禍のもとなり

其の二:「百世を重ぬるといえども、我が恥ますます甚だしからんのみ」と。

        「才・学・識」を兼ね備えた歴史家、司馬遷ではあったが李陵事件に連座して官刑に処せられている。

          武帝の下問に対して同僚であった李陵を庇う発言から、武帝の信任もっとも厚い将軍、李広利を貶めん

          との誤解を生んだのである。「(えっ)()の罪」なるか、これ、口舌の禍なり。

         「ああ、これが私の受ける罪であるのか、本当に罪であるのか。恥は官刑より大なるはなし」との悲しみ

           の淵にありながら、かくして司馬遷は全百三十篇、五十二万六千五百字の「史記」を今に残した。

其の一:論語にある、孔子の弟子の一人に鳥の言葉を聞き分ける能力を持つ、公冶(こうや)(ちょう)という男がいた。

          公冶長は鳥達が話している内容を聞いて行方不明になった幼児の死体の在り場所を知り、それを子供の

          親に話した事から殺人犯の疑いをかけられ投獄されたという伝説である。

          孔子曰く「縲絏(るいせつ)の中に在りといえども其の罪にあらざる也」と。

          超能力者は異次元に在り、凡庸な世人に語るは、これ、百事の禍なり。

2014年9月25日

百忍の知恵

其の一:いつの時代でも、またどんな人物でも完全にその器量に似合うポストを獲得するまでには、

            天から下されるいくつもの試練に耐えなければならない

其の二:敢えて人と争わない! 利益を争うのはそれぞれに欲があるからであり、言論を争うのは

            それぞれに意見があるからである。争わないといっても、自分なりの見解や判断はきちんと

             持っている事である。唯、次元の低い争いには加わらにという事である。

其の三:自分の役割と出番はここまでであるという限界点を知る力を出所進退能力という

其の四:日常生活において簡素を求めることを忘れると、人生が空しくなるのである。

其の五:異変が起こる時は吉凶いずれかの前兆がある。この理は明白で、たやすく曲げることは出来ない。

其の六:運命現象というものは、須らく(すべからく)、その出発点において、やがて起こるであろう現象の原因が

            生まれているのである

()(

其の七:国には国の(かく)、民族には民族の(かく)がある。人に人の格が有るのと同じである。そればかりか、

            物にもそれぞれの格がある。格は尊貴のもので、全ての格を総合するものが人格である。

)

其の八:「人間の価値」と言うのは時間と空間、つまり時代と社会で決まる

其の九:時間は決して逆行する事のない実に見事な自然界の真理を掴んでいる。

其の十:言葉は知性から生まれるから智者は書物を蓄えたりしないものだ。

其の十一:智によって知ることのできないものは、これを言葉で表現することは出来ない。

其の十二:言葉は知恵の及ばないところに止まるのが最上のあり方なのである。

其の十三:すべて外物に心が傾いていれば精神の働きはにぶるのだ。

其の十四:富をすばらしいと思う者は財産を人に譲れないし、世界に知られる事をすばらしいと思う者は

                    名誉を人に譲れず、権勢に親しむ者は人に権力を与えられない。

其の十五:大いに備わる事を知るものは何物をも求めず、何も失わず、何も捨て去らず、

     そして、外物によって自己の本性を変えるということがない。

其の十六:野心とは本来、人に飼い馴らされない獣の心をいう。

                そして、野心とは不屈という激しさを内包している。

其の十七:才能は充分に磨いておかなければならない。但し、自分の才能は奥深く隠し

                おっとりと構えていることが大切である。

其の十八:昔から、災難に遭うのは十人中、九人が頭の切れる人であった。

     おっとりした人で災難を被った人は(ほとん)どいない。

其の十九:人間を重厚にさせるものは礼節にまさるものはない。

其の二十:運命の変化の出発は、形あるものではなく心の変化にある。

其の二十一:運の低下の出発とは、視野の狭さにあらわれる。それを出発点として、

      やがて地位・財にも影響が表れてくる。

其の二十二:求めていくのが西洋的・・現実分野の発展。

            捨てていくのが東洋的・・精神分野の発展。

其の二十三:西洋は事実から思想が生まれている。東洋は思想から事実が生まれている。

其の二十四:西洋人は神を崇拝するが自然を崇拝せず。日本人は自然を崇拝して神とする。  

其の二十五:利には害を交えて考える事を忘れてはならない。

其の二十六:知識は得やすく英知は得難い。人は知識と英知の区別を忘れてはならない。

其の二十七:「智」とは洞察力とか、先見力と言った意味である。リーダーの条件の第一に

      ()げられるのがこの「智」である。

其の二十八:物事が形になって現れる前に、その動きを察知し、適切な対策を講じられる能力、

      それが「智」に他ならない。その「智」をたっぷり身につけているのが「智者」である。

其の二十九:水の流れは上から下へと自然の流れに沿って流れるが、お金の流れはそれとは逆に

      下から上へと流れる。この理は誠に明白であり、たやすく曲げる事は出来ない。

其の三十:男女は基本的には同格であるが、ものの考え方が女性の世界と男性の世界では差がある。

其の三十一:物事のサイクルが狂ったときは男性が脆くなり、先行きが見えない時ほど女性の力が必要になる。

其の三十二:男女は同権であるが別世界であり、同世界であると考えるなら女性が男性の真似をすることに

             なり、物まねでは女性は男性を追い抜くことが出来ない。

其の三十三:言葉は少しでも慎みを怠ると禍を招くことになり、行いはよほど気を付けるようにしないと

      辱めを招くことが多い。

其の三十四:男女とも異性の世界を知らないものは幼稚な人物になり、人間が精神的に大人になるためには

      自分が知らない世界を理解する能力が必要となる。

其の三十五:男女とも高い地位になる程、異性の能力を理解し認める傾向がある。

其の三十六:女性は家庭の中に不安があると前進力が鈍る。男性は家族のために働いていると思うと

            安心感を持つ。  

其の三十七:男性は常に未来(前方)に目が行き、女性は家族(後方)に目が行く。

      その為、女性はどんなに不安な未来でも前進できる。

其の三十八:男性は動乱の時代には不安感が強くなり弱く、動乱期に強いのは女性である。

其の三十九:何事も極端に走らなければ反対の現象も起らないものである。

其の四十:人にさまざまな生き方はあるが、天命に従っている限りみな道に合致している。

其の四十一:人知による成敗、禍福は本物ではない。それに迷わされて恨みをいだくのは時勢や運命を知らない

      者である。また、事の得失に知力は無用である。運命を全うして自然に得失すべきである。

其の四十二:忍こそあらゆる事の出発点である。忍に徹してこそ仕事を成し遂げる事が出来る。

      大事を成し遂げようとすれば必ず忍に徹しなければならない。

其の四十三:人から裏切られても、こちらからは裏切らない。これが自分を活かす道。

其の四十四:トップに立つ者は孤独であるだけに、とかく猜疑心にかられやすい。

      細心の注意があってこそ、人間関係がスムーズに運ぶ。

其の四十五:人間が人を使うには自分の次元(意識)を上げる必要がある。

其の四十六:単一の原因から複雑な結果を生むことは真理上あり得ないのである。

其の四十七:他人を説得するには、自己の内にある方法が確立されていなければならない。

      自信のない方法で相手を納得させることは不可能である。

其の四十八:説得する人は、その心を人々に覗き込まれないように、また、目立たないようにすべきである。

      自分の心を読まれたら説得どころか逆に相手に説得される恐れがあり、また、説得する者が

      目立つならば邪魔が入るという事を示している。

其の四十九:人の心は人の心だけで掴める。大企業のもろさは組織があって心がない。

其の五十:評判は実績がなければ作られないものである。

其の五十一:お金は出す事によって入って来る=呼吸と同じである。

其の五十二:長生きしようと思う者は清い心をもち、寡欲でなければならない。

其の五十三:人間のために天地万物が有ると考えるのはとんでもない誤りである。

其の五十四:本来、真理というものは単純、平凡である。それだけに難しい。

其の五十五:勝気な人というのは、人間的に観て単純で正直な人に出て来る特質である。

其の五十六:まことに真面目な人間は人に媚びないものである。

其の五十七:隠れたものを見抜くのを明察と言い、処罰を断行するのを厳格と言う。

其の五十八:人間は、自分の思い通りにならないという状況の中で、広い視野を身に付ける事が出来る。

其の五十九:人間にとって攻撃力とか守備力は、現実の利得の世界へ進もうとすれば必要欠くべからざる

                   ものであり、この二つに弱さが出ると言う事は現実の世界での弱さを暗示するものである。

其の六十:静は不変を持って静と考え、動は変をもって動なり。

其の六十一:人間には生まれつき、利益によって左右される一面がある。この一面がそのまま成長していくと、

      人に譲る気持ちがなくなって争いが起こる。

其の六十二:勝つ者は道なりに進もうとするが、敗れる者は近道を選んで結局は道に迷う。

其の六十三:人間関係では付き合う相手を慎重に選ばねばならない。

                 「己に如かざる者を友とする勿れ」である。

其の六十四:人間は現実によって精神を得、精神によって現実を得る。其処には常に精神と現実の循環が

                   存在している。

其の六十五:人間、有形が欲しいと思ったら、それを得るための武器は無形の世界である。

其の六十六:生とは「霊魂と肉体の融合」であり、死とは「霊魂と肉体の分離」である。

      生きていてこそ初めて「命」。

其の六十七:運命を変える事が出来る最大の武器は人間自身の心であり、神は運命を変え得る力も運命のままに

                  従う力も、共に人間に与えているのである。

其の六十八:人間の力は微力であり自然界の力で摂理を敵に回して生き残れるはずがない。

                  人間の生活は自然から授かったもの以外の存在物は有り得ない。

其の六十九: 人は必ず何かの能力を持つのでそれを見つけ出す事が必要であり、

      一番の欠点の反対側に可能性がある。集金が下手は使い方が上手。

其の七十:「人を以って天を助けず」とは、天の自然の運行のままにして、そこに人為を用いてはならない

                  という意味である。

其の七十一:人間というものは、やはり、私智を用いてはならない。

                   心を虚しゅうして自然に従えば万事は解決する。

其の七十二:人間の精神とは人を引き付ける引力の根源なのである。

                   そして、それをコントロールするのが「心」の位置。

其の七十三:精神世界とは、与えられた物事を「静止」の中で学び取る世界である。

其の七十四: 次元が上昇する時は必ず肉体は(こく)されている状態にある。

                   そして精神が拡大されれば必然的に高い次元の行動が生まれてくる。

其の七十五:もともと精神と現実が一体となっている度合いは男性よりも女性の方が強く

                  女性の本能として切り離しにくいものである。

其の七十六:現実と精神が同時に働くのが女性であり、精神と現実が別々に働くのが男性とも言える。

其の七十七:精神と言えるものは形を持たないものであり、他人の力を必要としない処で形成しなければ

                  ならない。

其の七十八:量りというものは物の規準であり、礼というのは節度の規準である。

其の七十九:善悪が熟さないうちは、善人でも災いにあい悪人でも幸運にあうという。

其の八十::賢人とは?才知にすぐれ善行があって、賢い人をいう。

其の八十一:聖人とは?智において万事に通じている人をいう。聖人の智は大道に通ず。

          故に「万物以って心を乱すに足るものなし」故に静かなり。

其の八十二:庸人とは、つねなみの人、凡庸の意から凡人という。

其の八十三:努力とは自分の願望を貫き通すだけではない。方向を間違えた努力は自我である。

其の八十四:人の上に立つ者は、みだりに権力を人に貸し与えてはならない。

其の八十五:恩恵をうまく施す人物はやたらに施さない。滅多に使わないから効果がある。

其の八十六:どんなに素晴らしい民主主義が生まれても、役目に上下が無ければ平和な世の中は維持

                 できないのである。

其の八十七:一つの会社でも、社長がいて部長がいて課長がいる。これは変動的といえども立派な

                  身分制度である。

其の八十八:そもそも、愚か者は後悔が多く不肖の者は自らを賢いと思うものです。

其の八十九:智謀とは、根本的な問題について思慮を働かすことである。

其の九十:慎重さとは、どんな些細な事にも注意を怠らぬことである。

其の九十一:攻撃とは敵の意表を突くことであり、機略とは事態の変化にすかさず対応する事である。

其の九十二:すべてに執着心を持たず、また、あれこれ、これあれと比べてみようとしない者は、

                   偉大な理知の持ち主である。

其の九十三:出発点・原因というものが生涯を通じての重要な要、ポイントとなることが、運の真理と

                  なることを忘れてはならない。

其の九十四:苦は自然の法則にそれている場合であり、楽は自然の法則に合っている場合であるといえる。

其の九十五:人間には最初から無の世界を見る能力は与えられておらず、生きている間に自分自身で身に

                   付けなければならないわけである。

其の九十六:素晴らしい未来を築く第一の条件は、過去に残されたものを大切にして行くこと。過去のない

                  未来は脆く、過去を捨てる事は未来を見放す事と同じである。過去は北方、未来は南方、北な

                  くして南は有り得ません。それを忘れた時に人は未来へ通じる道に迷うのである。

其の九十七:是を是とし非を非とする、これを智といい、是を非とし非を是とする、これを愚という。

                  是非善悪を正しく判断してこそ聡明といえる。

其の九十八:昔の人材登用にみれば、智者の短所よりも愚人の長所を用い、智者の拙なるところよりも愚人の

                  巧みなるところを用いる者が成功している。

其の九十九:強は弱の積み重ねであり直たるものは曲たるものの積み重ねであり、豊かなものは不足の積み

                  重ねである。弱者、無能者、不足者を軽視してはならない。

其の百: 長寿と短命、貧賤と富貴、これらはみな偶然に支配されるものではない。

              それ相当の理由があってのことだ。死については、九人中、三人は長寿、三人は短命、残り三人は

               養生に気を配りながら死に至っている。

2014年6月18日

豆知識ー軍略編 ※月曜日更新

「 軍略とは組織トップの「予測・対処・準備」の学問であり、

「戦略」が軍隊の進退を論じるのに対し「軍略」は国家の進退を論じる学問である。

そして軍略は「集団」を構成するすべての「個人」の

全エネルギーを完全燃焼させる方法論である。また軍略の最終目的は「集団(会社)

の安定」でり、そのために「集団の質の向上」を図ることである。

※下記の軍略条項は隔週月曜日に更新されます。

軍略条項の再録  2017/6/5  更新

【軍略31】  

『個人主義が強くなり、報道の自由や表現の自由が強調される時は動乱期の入口である。

南方社会の初期は、まだ平和で安泰であるが、末期になると動乱期の入口となり、10~

20年後(西方社会)に本当の動乱期が来る。

特に女性の政治指導者が多くなったり、諸々の目的を持った女性の集団が数多く出現する時

は動乱期の入口であり、南方社会の末期現象である。

つまり、社会が守備型から攻撃型に移行する時は現象として女性集団(攻撃的)の数が多く

なる。

 


 

 

2014年6月17日